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毎度更新が遅れ申し訳ございません

2016年 4月 16日(土曜日)更新  

先月号は こちら 

 

 さようなら、ラさん (3月13日に亡くなりました。)

 ラさん(享年39才)とは、2014年2月にHIV感染者ネットワークのソムキヤットさんの紹介で出会った。HIV感染者ネットワークは、患者さん自身の自助グループのことだ。患者さんの中には、健康状態にも経済的にもいろいろな状況の人がいるが、その中で、困っている人たちを積極的にサポートしている人たちのグループだ。熱心なワーカーたちの筆頭ともいうべきソムキヤットさんは、このラさんはじめ、多くの人たちを私たちにつなげてくれている。
  ラさんは、今まで「クルム・プアン チェンマイ−ヒロシマ」が支援してきた患者さんの中でも、一番困難な状況に苦しんでいた人だった。ミャンマーからの移民という経歴もそうだが、何より、エイズの後遺症に苦しんでいた。両目は失明していた。その上、両手・両足が麻痺し、自分で寝返りさえうてなかったし、勿論、トイレや食事も自分の力では、ままならなかった。かといって、一日中介護してくれる人がいるわけでもない。初めて彼女を訪ねた時、 他の家族が留守だったので玄関にカギが外から二重にしてあったし、暗い部屋に、扇風機がなまあたたかい空気とむせるような匂いを拡散させていたのが、とてもショックだったのを覚えている。
  しかし、私たちに別の意味で大きなショックを与えたのは、元夫のヤさん(35 才)だった。わけのわからない感動だった。7年前に離婚したのに、ラさんの具合が悪くなってからこの5年間、 毎日、シャワーやオムツ替え、食事の世話などを細やかにし続けていたのだ。ラさんが逝ってしまった3月13日までちゃんと面倒を見たのだ。彼も、ミャンマー出身の人で、HIV感染者だ。ヤさんはエイズの後遺症ともいうべき目の障碍が少しあるが、今は、元気に工事現場で働いている。ラさんは、元気な時は、家族のために、一生懸命に写真屋さんで働いていたそうだが、悪くなってからは、ミャンマーから出てきた母親と一緒に、妹夫婦の家に住まわせてもらっていた。妹夫婦も母親も昼間は働きに出ていたので、ラさんは、一人きりで暗い部屋に横になっていることしかできなかった。そこへ、私たちが訪ねたのだ。私たちは、ヤさんと一緒に、病院への送り迎えとHIV専門の針治療への送迎をした。 2014年8月、風邪をこじらせてラさんが入院したが、その退院の際、妹夫婦は、引き取りを拒否した。「日本へでも、どこへでも連れて行ってくれ。私たちは、もう面倒見切れない。」と言われた。引き取り手のない場合、出身地の病院に強制的に転院させられるのだが、元夫のヤさんが、ラさんが籍のあるミャンマー国境の村に帰される寸前、タイムリミット数時間というところで、入居させてくれる安いアパートを見つけて来た。あの時は、本当にホッとした。母親と2人、妹夫婦の家を出て暮らし始めることができたのだ。私たちは、アパートの家賃を2か月分支援した。 母親は、日中は、家政婦の仕事で家を出ていたので、昼間はやはり一人きりだったが、アパート暮らしは、良いものだったようだ。近所の人が気にかけてくれて、鍵をかけなくてもよくなったからだ。私たちはいつ訪ねても会うことができた。毎日夕方には、ヤさんが訪ねてくれたし、ミャンマーから出てきた友だちや、元気な時に通っていたキリスト教会の人たち、HIV感染者の仲間など、妹夫婦の家では絶対になかった来訪者もいた。 
  私たちは、ラさんはもっと生きていてくれると思っていた。入退院を繰り返しながらも、もっと生きてくれて、もっと笑いあってくれると思っていた。「ティッシュを食べたらだめだよ。」というギャグが、とてもお気に入りで、私やヤさんが、その言葉を言うとケラケラ笑っていたね。
  3月13日(日)の朝、7時50分、お見舞いに行った時、前日と同様に、意識はなかった。でも、私の言葉は、聞こえていたのではないだろうか?「心配しなくてもいいよ。イエス様が一緒だからね。」亡くなったのは、私が病院を後にして2時間半後の11時頃だといわれた。野戦病院のような喧騒の大部屋で、誰にも看取られずに静かに亡くなったラさん。私が残っていればよかったのに、ごめんね。
  教会の人たちが、霊安室のある建物の前の駐車場で、火葬場に行く前にお葬式をしてくれた。賛美歌を4曲も歌ってくれたし、棺の上にお花も飾ってくれた。冷たかった妹夫婦も来てくれた。お母さんが体調を崩し、ほかの病院へ入院していたので、来てはもらえなかったけれど・・・
  39才という、短い生涯だった。ラさんの灰はピン川に流されたそうだ。ピン川を見るたびに思い出すからね。面倒を見続けたヤさんは、これからどんな人生を生きるのだろうか?ラさんの分まで幸せに生きていってほしい。さようなら、ラさん。忘れないよ。


駐車場でのラさんのお葬式: さようなら ラーさん 。(私はいつも「ラーさん」と呼んでいました)えがおをありがとう。 また会う日
               まで集まってくれた人たち ありがとう


 近況報告

 長い間、活動報告が滞ってしまい、本当に、申し訳ありませんでした。ご心配をおかけしています。
2012年12月に始まった急激な円安の影響で、2年続きの赤字会計に苦しんでいましたが、最近、少し円安も落ち着いてきたので、次の活動に取り掛かろうと張り切っています。
  2006年3月16日に「発会式」をしてから、10年が経ちました。タイの状況が変化し、私たち「クルム・プアン チェンマイ−ヒロシマ」の活動も見直しにかかる時期になったと思います。HIVに感染する人は、若年層を中心に増えてきている一方、抗HIV薬がいきわたり、感染者も発病を抑え、普通の生活ができるようになりました。人々の関心は、今や、エイズではなく、糖尿病や、高血圧といった成人病対策になっています。しかし、まだまだ、ラーさんのように、エイズの後遺症に苦しむ人たちもいます。その人たちとのかかわりを継続しながら、次に課せられた問題に取り組むことも考えなければなりません。その前に、この10年でかかわってきた人たちの生活に、どんな変化があったのか、皆様にご報告しなくてはならないと思う最近です。単に過ぎていった日々を懐かしむのではなく、私たちは、どんなことを学んできたのかを総括していきたいと思います。
  また、円安に泣いた経験から、フェアトレードも充実させて、自活の道も模索する道も示されました。バティック制作のデットさんや縫製のナットさんを励まして、「売れるモノ作り」を目指したいと思います。また、ほかの働き手や協力者を見つけたいと思います。興味のある方、ぜひボランティアをお願いします。
 
  今年の冬には、去年行けなかった、オムコイのカレン族の村に再び毛布を持って行けるように頑張りますので、引き続きご支援をお願いいたします。(毛布100枚への寄付金もよろしくお願いします。)


 ☆千客万来☆

2016年1月から3月まで、日本から多くの支援者が訪ねてくださいました。府金康光さん、流郷由紀子さん、 市岡裕子さん、クレッグさん、後藤めぐみさん、村上湧さん、藤本侑佳さん、草野秋法さん、渡辺賢二先生、 下前勝朗先生、田村孝徳さん、田村由香里さん。   はじめての若い人たち、毎年来てくださる方、久しぶりの方。本当にありがとうございました。


 大坪省三さん  チャリティ展覧会大成功

ショーちゃんのチェンマイ・スケッチだよりでご紹介していた、大坪省三さんの水彩画展をターペー門にある「アートカフェ」で開催しました。ターペー門はチェンマイで一番の観光地です。日本人だけでなく、中国人や西洋人の観光客も買ってくれました。そして、収益の全部を「クルム・プアン チェンマイ−ヒロシマ」に寄付してくださいました。ありがとうございました。大坪省三さんのボランティアも8年目に入りました。ショーちゃんのブログも見てくださいね。     http://blogs.yahoo.co.jp/shozoostubo


 市岡裕子さん 今年もありがとう!

 

写真上 左:市岡裕子さん、クレッグさんご夫妻。「ハウス オブ ラブ」での楽しい交流の時です。 スラムの子どもたちを毎朝集めて来
       て教育する幼稚園です。ほとんどの子どもたちが、少数民族の子どもたちです。今年は、文房具のプレゼントで、子どもたち
       を励まされました。   「ブロッサム・ホーム」・「バーンロムサイ」・「光の家」・「クルム・プアン チェンマイ−ヒロ
       シマ」にも、同様のご支援をいただいています。

写真上 右:ラフ族の女の子、ブサコーンです。日本のお父さん上本啓輔さん、サポートありがとうございます。勉強頑張ります。
      ブサコーンは、こんなに大きいのに、小学4年生です。本来なら6年生ですが、山岳地帯から両親と出てきたことなどから、就
       学が遅れました。去年、お姉ちゃんは、15才で、お嫁に行きました。ブサコーンは、かわいいので、お母さんが、バンコクか
       ら、ブローカーのような人が来て、連れて行ってしまわないか、とても心配しています。10数年前には、よくあったことだそ
       うです。2013年に初めて訪問した際にとても警戒されたことに納得がいきました。

 

写真上 左:ボランティアの安部です。今日は、光栄にも、ギターで裕子さんのお手伝いです。2015年9月に開いたコンサートを思い出しま
       す。100人の子どもたちを招待しました。また、やりたいですね。

写真上 右:裕子さんのパートナーのクレッグさんです。今回の旅でも、いっぱい子どもたちを抱っこしましたね。写真右端 ボランティ
       アの山口です。イエーッ!

市岡裕子さんは、吉本新喜劇元看板役者の故岡八朗さん(漫才の阪神・巨人の師匠)のご長女です。ゴスペルシンガーとしてご活躍のほか、苦しい境遇を乗り越えた体験をもとに「自殺防止セミナー」などの講師として、全国を回っておられます。2008年よりチェンマイの子どもたちに年2回、支援金を届けてくださり、そして、その素晴らしい歌声と笑顔で、子どもたちを励まし続けておられます。
「市岡裕子インターナショナル・ミニストリー」のホームページをご覧ください。  http://www.ichiokayuko.com


 ニック大喜び  高橋謙哉さん、自転車をありがとう!

ニックです。今年、中学生になります。故障していた自転車に乗っていて転倒してしまい前歯が半分折れてしまいました。自転車はあきらめていたので、マキさんが自転車を持ってきてくれた時は、飛び上がって喜びました。くださった高橋謙哉さん、本当にありがとうございました。お母さんは、エイズの後遺症で全く目が見えません。病気のお母さんを助けて、勉強も頑張ります。!

 


 

写真上 左:チェンマイの郊外の山に住むミナさんと。HIVにも負けず、頑張って子育てしています。最近の物価の上昇には閉口しているそ
       うです。右端は明治大学の村上湧さん

写真上 右:デットさんとオーイさんと久しぶりのサンカンペーン温泉です。以前は、足湯によく来ていました。血行がよくなるので、車
       いすのデットさんにとっては、とってもいいので、また、たびたび来たいと思います。

 

写真上 左:モン族の養護施設「光の家」にて。渡辺賢二牧師と下前勝朗牧師。多いに遊び、最後は、かつてタイの東北部で宣教師をされ
       ていた渡辺先生のタイ語でのお祈りとお話。みんな真剣に聞いていました。

写真上 右:ジェム君は27才。交通事故で右半身不随になりました。その際、HIV感染も判明し、毎日、抗HIV薬を飲んでいます。毎週月曜
       日と水曜日には、リハビリを受けに病院に通っているのですが、この日は、病院帰り、近くの大きなお寺に行きました。車い
       すでもお参りができるようになっていました。お父さんは、ジェム君の健康と回復を熱心に祈っていました。このお父さんは
       、一日中ジェム君の見えるところで仕事をし、家でのリハビリや生活の世話をしています。
       久しぶりのお出かけだったので、二人とも、とても喜んでいました。


 編集後記

毎年、3月の終わりには帰国していましたが、今年は、4月7日から20日まで帰国します。葉桜になっているかな?というタイミングですね。
  今回は、健康診断を受けてみようかなと思っています。49才でチェンマイへ来ましたが、今年で61才になります。気持ちは若いし、体調も良いのですが、チェックは必要かなと思い計画しています。タイでは、4月15日が新年です。ソンクラン祭り(水を掛け合って新年を祝います)としても有名です。一番暑いこの時期、気温は、40度近くになります。そこで、私たちボランティアも夏休みです。 皆様も、お体に気を付けて、新しい年をお迎えください。

 

Special Thanks

マツダ様より定期点検と車両保険のサポートを頂きました。ありがとうございました。

今年もしっかり走ります。皆さんどうぞ宜しくお願いします。「ロバ君」


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 更新は毎月10日前後です。

 過去の「マナ〜オ通信」をご覧になりたい方は、チェンマイよりお送りいたしますのでメールでご依頼ください。

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